続アメリカと銃

日本の話をする。
豊臣秀吉が国内に敵がいなくなると、朝鮮出兵をした。長命であれば末期の明をも射程に入れた「勝負」に出たところだろう。秀吉でなくても、国を統一した武将がその手法を普遍化したくなるのは「自然」に見える。
国家権力の掌握はノウハウの塊、イノベーションなので、勝つと分かっている「勝負」をしないでおくことは、武将ならずとも矛盾としか言いようがない。
また、明治維新において、国内が中央集権的な権力集中に成功すると征韓論が台頭する。
さらに言えば、戦後の日本は、朝鮮戦争での特需で上向いたのも入れてもいい。軍事的手段ではなく、経済的介入ではあるが同じことだ。
国内が民衆の武装解除に象徴されるように統一され、権力の集中が起こると決まって、対外侵略の誘惑が強くなる。若い「権力」といっていい。
戦国時代のような状況から統一を成し遂げたのだから、当然だろう。ドイツもそうだし、アメリカもそうだし、今の中国もそうだ。
ところが、アメリカが他の国と違うのは、民衆の武装解除が進んでいないことだ。アメリカの外交の別の側面つまり対外不干渉、モンロー主義は、アメリカの国家としての脆弱性、民衆への弱さに起因しているように見える。