続アメリカと銃

戦国時代において、民衆は普通に武装していた。治安は自分で守るしかないのだから、泣き寝入りをしたくないなら「武装」するしかない。半農半兵という状態だ。普通のアメリカ人が考えることも同じことだろう。
戦国時代から絶対王政に移行する段階で、民衆は武装解除されるわけだ。
ところが、アメリカはこの歴史的段階を通過しないで、周回遅れで、近代という戦国時代を迎える。
この歴史的な未熟さが、アメリカの国家としての弱さでもあるのだが、個人を強くすることにより、能力しだいでどこまでものし上がれる仕組みをつくった。この人材登用により、国家の弱さをむしろ強みに変えた。アメリカの個人主義は、戦国大名実力主義と同類の発想である。
アメリカを特徴付ける実用主義もこの歴史的未熟さに根拠がある。
近代の言う「平等」が恒常的な「戦争」に他ならず、この戦争状態に適応したアメリカの覇権はゆるぎないようにも見える。
アメリカは今も多くの移民を受け入れている。最近では、ヒスパニック系の増加が大統領選に影響を与えているほどだ。
裁判、選挙を通してアメリカの最下層を形成する移民たちは、固定されることなくその地位を上昇させることができるのだろう。
一見マルチ商法と似た政治形態にも思える。どこかで、いつか破綻しそうな危うさがある。その上にアメリカンドリームの花が咲く。
アメリカが目指している理想のアメリカが、実は国家としては消滅を志向してるようにさえ見えるのだ。
アメリカがフランス革命以後の西欧の代表として中国やロシアや中東に軍事的、政治的なちょっかいを出さざるを得ないのは、アメリカという国家モデルが近代という戦争状態に適応しているからだと思う。
「平等」というのはアナーキーと同義である。
基本的人権ということになっているようだが。