続アメリカと銃

社会学エドウィン・シャーの主張には、一理ある事は明白だ。しかも、オランダの麻薬や公娼の取り組みもある。
これで思い出したのだが、アメリカの特異な社会実験が思い浮かぶ。「禁酒法」だ。「1919年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律。wikより」
ザル法だった上に、二次被害があまりに大きく、推進者からも疑問の声が上がり、廃止される。
銃は野放し、お酒は駄目では、アル・カポネを大量生産されるのはほとんど必然だろう。二次被害が道徳的満足を上回れば、アメリカでも変わりうるとも言える。
アメリカの銃規制がすすまないのは、この二次被害が道徳的満足あるいは国家としての法益を下回っているのだろう。
道徳を守ろうと数々の障害や誘惑と戦っている人々が法律にその援護を求めるのだが、実はその法律が反道徳の温床になるという矛盾に出くわすことになる。
道徳的であろうとする努力が、反道徳の木を育てている。どう考えても地下で根がつながっているのではないか?つまり同根。
「売春、賭博、麻薬、堕胎、ポルノ、談合、自殺、脱税、不法移民、さらに武器の所持」全部OKと言われてもそうだねとは言えない。
道徳的な立場ではなく、二次被害の最小化の観点からちょっとかんがえる。