続アメリカと銃

A10神経は鼠にもある。オキシトシンの分泌が鼠の群れを誘発するという実験もあるようだ。もちろん、猿にもある。
個人の行動や選択がこうした脳の仕組みによって決定され、反復されている。
一応、大雑把に言えば人間が生き残るのに必要な行動や選択に対して「快感」という報酬を与える仕組みである。
母親が赤ちゃんにおっぱいを飲ませると快感ホルモンのドーパミンが放出され、さらにオキシトシンが分泌される。これが、共感能力をはぐくむらしい。この共感能力を前提にして、他の人間に対する関心や予測それに基づく、思いやりや協力関係を築く。
信頼関係や恋愛関係もこれが基礎になる。「性善説」のようなものだ。本当に悪い人はいないんだよという根拠のない信念が形成されなくてはならない。
まして、銃規制となると銃をもつという「快感」に対して、銃を持たなくていいという「快感」が強くならなくてはなるまい。
私は、ミズリー州の州都セントルイスの繁華街に出かけたことがある。アメリカは好きだし、住んでいて何の違和感もなかった。みんな陽気で親切だった。ただ、その繁華街のビルの窓ガラスに穴が開いていた。銃弾が打ち込まれた後がそのまま放置されていたようだ。危ないところに紛れ込んでしまったらしい。私は、気分が悪くなり、直ぐにアパートに帰った。何か特別のことがあったというのではないのだが、げんなりしたのを覚えている。
日本に来たアメリカ人は、日本は「銃」を持たなくていい国だということに気が付くと思う。そんな危ないことはまず起きない国だからだ。アメリカに住むというだけで、銃による緊張を強いられる。全く人生の無駄ではないかとさえ思う。
銃を持たなくていいという「快感」を平和ボケと揶揄する向きもあるようだが、これは長い時間をかけて日本人が手に入れた高度な文化だと思う。繰り返せば、日本では、「性善説」が信奉されている。本当に悪い人はいないんだよという根拠のない信念やフィクション、つまり「先取りされた共感」が存在しているのだ。