続アメリカと銃

A10神経の支配力は、生物的な根拠があるので性欲や攻撃性さらに高度な活動までコントロールしている。
A10神経が活動しなければ、電灯のスイッチ一つ入れることさえできなくなる。
制度や規則なども、A10神経報酬系と矛盾すれば存在しないのと同じだ。
だから、ルールというものは、支配的な人間の報酬系であるA10神経に依拠していると言える。
支配的な人間が多数派とは限らないので、多数決で物事が決まる場合支配的な人間が決めたルールは当然のごとく無視される。
以前書いたように、フランス革命でルイ16世の処刑を多数決で民主的に決めたのだが、その時、「25歳の青年サン=ジュストが、人民が元々有していた主権を独占した国王は主権簒奪者であり、共和国においては国王というその存在自体が罪として、個人を裁くのではなく、王政そのものが処罰されるべきであると演説」wikより
一見まともな演説のように思えるが、主権は王にあったのを、人民が奪っただけのことであり、同じ文脈で、王政を処罰するのなら王個人の処罰はしないというロジックも可能なのだが、この青年の演説により、個人の中にドーパミン放出が起こり、快感が先取りされ、オキシトシンの分泌が起こり共感が成立し、多数派が形成され、ルイ16は、死刑と言う流れが決定的となる。
これほど劇的ではないにしても、民主主義において、いかに演説が重要かをしめしている。もっとも、日本では「根回しの」方が人気があるようだが、同じことだろう。