続アメリカと銃

銃の所持が無実の人たちを巻き込まないために、アメリカは銃を規制すべきだと思う。
アメリカ全域で一律に銃規制するのは、弊害が多いので銃規制の厳しい州(ニューヨークやワシントンDCなど)を徐々に増やしていき、銃犯罪の減少という実績を上げるべきだろう。その実績を全米に広げていく。隣国のカナダ並に銃規制をできれば、事件ごとに規制を強めたり厳しくするという方向に向かうだろう。こうした、銃規制の厳しい州から大統領を生み出せれば、一気にアメリカでの銃規制が進む可能性さえある。
絶対王政の欠如という歴史的経験のなさは、どうしようもないので、どう啓蒙していけるかがポイントだ。
ベッドサイドに銃を隠していないと良く眠れないというのは、尋常ではない。これは、理屈ではなく無意識が銃を欲している。このレベルにいる限り、実は安眠もできないし、銃もなくならない。むしろ増える。話は堂々巡りで解決不能だ。喉が渇くので塩水を飲むのだが、余計喉が渇くようなものなのだ。アメリカで暮らすと確かに銃の一つもあった方がいいかもしれないと思ったりする。しょっぱい環境なのだろう。
銃を持つ持たないに関係なく、安心して眠れるようになれば、銃規制自体はスムーズに行くはずだ。銃の所持に「報酬」を与えない回路を作りあげる必要がある。これにより、銃への需要は激減する。では、どうやってこの回路を作り出すべきなのか?
少なくと日本人には、この回路は存在している。護身用とかいって、銃なんて持って安心できるなんて、バカじゃないの。ナイフを持ち歩いているというのも訳が分からない。むしろ、武器の所持が自分に跳ね返ってきて、いたるところが危険になるだけだと考えるだろう。
大体、戦争のときでさえ、国内で銃を自由に所持したわけでもないのだ。まして、平和な世界で銃など無用の長物で意味がない。
こういった日本人に、当たり前の回路が存在しないのだ。
逆に言えば、誰に教えられたわけでもないのに、このような「平和」な回路を作り上げた。
これは、銃の所持の安心感と同様の「無意識」なので当の日本人には空気のようなものだと思う。自覚していない。治安が悪化しても日本がアメリカ並に銃所持を緩和するということはあり得ないので、一度この回路ができると後戻りはないようだ。アメリカといえども、この回路ができれば、銃規制を強化する方向に進むだろう。
銃に関して、アメリカをジャパナイズすべきだと思う。目標は決まったのだが、その方法は無意識の中あるいは、A10神経の回路、脳の可塑性の中にあるようだ。
クリスマスを楽しみにしていた小学生がこれ以上銃殺されるのを見たくない。私の一部もその時死んだ気がしている。