続アメリカと銃

ダイエットで一度は食事を制限したにも関わらず、再び過食に戻ってしまうという現象がある。リバウンド。
アルコールでも薬物でもsexでも「がんばって禁欲」しても、また元に戻るばかりでなく、さらに亢進してしまう場合の方が多いと思う。
ちょっと思考実験だが、ヘロインに、「飽きた」ので水泳にはまるという人はマレだと思う。また、逆に水泳に飽きたので、ヘロインにはまるということはありそうだ。
さらに、水泳に飽きたので、今度はマラソンと言う人がいてもおかしくない。逆もありそうだ。もちろん、飽きずに両方続ける人もいる。
以下に仮説というか思いつきの説明をする。
ヘロインは、飽きるという回路を破壊する。だからヘロインには飽きない。
水泳は、飽きると言う回路は破壊しない。だから飽きると、他のものを探すという選択をする。
では、禁欲とその失敗はどう考えるべきなのか?
とりあえず、禁欲は「飽きた」からと考える。飽きたのでとりあえずその行為は止める。つまらないからだ。
その代わりに何か他のものを探す。試行為錯誤をする。食べることを止めて運動するとか、アルコールやめて、登山に打ち込むとか、sexは止めて勉強するとかしてみる。ところが、止めて他のことをいろいろしても、あまり報酬が手に入らない。これでは、人生真っ暗で、何をやっても楽しくないと言う絶望的な状況になって、飽きると言う時に設定していた回路の閾値を下げる動きが起こる。すると、敗者復活戦ではないが、アルコールや薬物やsexが選択肢として急浮上してくるのだ。
もっといいカノジョがいると思って、「飽きて」フったのだが、やっぱり最初のカノジョ以上の女には出会えず、絶望し(ここで閾値の書き換えが起き)モトカノを再発見するといえば、分かりやす過ぎるか!
脳の回路をプログラムとしてみれば、「試行錯誤の末の絶望」は単なる「閾値」の書き換えにしか過ぎなくなるところが、なんとも「随分」科学的な話である。
ただ、そういう風に考えれば、リバウンド現象は理解できる。
ダイエットの度に太るのも理屈どうりである。
逆に成功したダイエットでは、例えば痩せて彼か彼女が出来たとかいう報酬が手に入り、この報酬が過食による報酬より大きい場合である。過食に匹敵する報酬はなかなか手に入れない状況では、当然リバウンドするだろう。
洗脳の場合もダイエットと同じ仕組みで、失敗したり成功したりする。
こう考えると「飽きる」とい回路の作動を可能にする環境と、その閾値書き換えが低い値の場合はリバウンドしてしまい失敗、同じか高い閾値への書き換えなら乗り換え成功と言える。
アメリカで銃乱射事件が起きるたびに、その絶望的状況がこの閾値を低くさせて、「銃の需要増の引き金」になっているのだ。リバウンドと同じことが、銃にも言える。
この閾値の書き換え現象に対して、どう対応するかが問題となる。