続アメリカと銃

エドウィン・シャーは被害者なき犯罪として、「売春、賭博、麻薬、堕胎、ポルノ、談合、自殺、脱税、不法移民、さらに武器の所持」などを挙げている。
今まで言ってきた、脳科学ぽい仮説を信じるとすると、これらのものは中毒や依存性があるということ。
当人がいくら止めようとし、試行錯誤しても「個人の自由」の範囲で解決不能であり得る。一昔前なら「無意識」といった代わりに、脳科学というのを持ち出したのは、必ずしも「個人の自由」な選択が最適解を見出すとはいえない場合があるからだ。生物学的に合理的でなくては、実効性を担保できない。
例えば、空気を吸うだけで、あるいは水を飲むだけで至福になれるという環境であれば、中毒や依存性から容易に抜け出せるだろう。
ところが、現実には逃げたはずの借金取りのようにまた追いかけてくる。
法的に取りしまるのは、試行錯誤をサポートするという意味での公的な介入である。しかし、介入する公的な機関にサポート機能がなく単なる懲罰機能しかないとすれば、これは中毒をより強化する方向に向かう可能性が高い。
刑務所が犯罪を誘発してしまうのだ。