続アメリカと銃

賜死は、「通常の死刑よりは恩情のある措置であり、取調べや裁判によって名誉を傷つけられることが防げる」wikとある。
つまり、通常の司法のプロセスを省略した、超法規的な処理である。
これは、君主の側にとってみれば、リスクがある。取り巻きの根拠のない謀反の噂だけで有能な家臣を失う可能性がある。さらに、暗君という評価をこの取り巻きから受け、実質的な支配権を取り巻きに侵食される可能性がある。また、冤罪であるという噂が他の家臣や民衆に共有されると支配権自体がほころぶからだ。切腹乱発、こいつアホとちゃうかとなる。
しかし、一方でメリットもある。賜死を受け入れた以上、灰色ではなく黒と本人が認めたことになり、君主の判断の正当性が担保される。また、君主に残る冤罪の可能性のリスクを当人どまりにでき、最小にできる。さらに君主の絶対的権威を見せ付けることによる引き締め効果もあるかもしれない。単にロボットが増え、萎縮しているだけかもしれないが、その方が都合がいいのが封建性というものである。
また、潔く賜死を受ける側にすれば、賜死によりこれは君主の「冤罪」であることを証明する最後の手段ということもできる。もし不当な「冤罪」であれば、賜死を拒否し、一族郎党を巻き込んで謀反を起こす選択もありえるのだ。しかし、これを諦め一族の長として一身に罪を背負えば、賞賛される可能性が残る。
つまり、裁判で白黒はっきりさせないことのメリットが双方にあることになる。
日本や韓国で「自殺」を選ぶ人が多いのだが、これは超法規的死刑である。
また、銃殺される人も超法規的死刑であるという意味でなら、同じだ。

銃を規制し、死刑を停止しても、自殺の多い韓国
銃を規制し、死刑を存続させ、自殺の多い日本
銃を規制せず銃殺が多く、一部の州で死刑を廃止して、自殺の少ないアメリ
銃を規制し、死刑を廃止し、自殺は少なめのフランス