続アメリカと銃

マルクスは、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で、
「宗教上の不幸は、ひとつには現実の不幸の表現であり、
心なき世界の心情であるとともに、
精神なき状態の精神である。
それは、
民衆の阿片である。

民衆の幻覚的幸福としての宗教を廃棄することは、
民衆の現実的幸福を要求することである」
と述べている。
ここで、宗教を偽薬=プラセボと置き換える。
私は、偽薬=プラセボは、現実的幸福である治癒に有効である可能性がある思っている。ノンアルコールビールは、酔っ払うし、アヘンのような中毒性も小さい。
むしろ、宗教の中に現実的な幸福があり得ると思う。
一方で、宗教がある閾値を超えると「中毒」になりえることも確かだから、アヘンといってもいい気もする。
宗教をアヘンと断じることに、少なからず躊躇を感じる一方で、宗教を薬と断じるのにも躊躇を感じる。

偽薬ぐらいが丁度いいのでは!

信じるものは、本当に救われる。
素直な人は得をする。
結構なことではないか!