続アメリカと銃

偽札については、さらに突っ込んでいける。
精巧に作られた偽札は「本物」として流通する。
むしろ、本物のお札自体からして、肝心のモノとしての価値は、例えば壱万円札の原価は 「壱万円券で22.2円/五千円券で20.7円/ 弐千円券で16.2円/ 千円券で14.5円」だそうだ。
これぐらい元をかければ、壱万円札は製造可能なモノでしかない。
原価を膨らませる仕組みを、信用構造という。
信用構造は、国家の徴税能力により裏打ちされたものなので、国家体制の危機はスーパーインフレという形態を取る。
税制が信用構造の要、国家の基本であるのはそのせいだ。
だから、いくら日本がデフレであるといっても、それは国家の経済的な苦境ではあっても、国家の構造はむしろ堅固といえる。キャッシュをまだ信用しているからだ。これが、キャッシュではなく、モノにいくようになると国家の構造としては危うい方向に向かう。ただこれも程度問題で、ある程度のインフレが望ましいということになってはいる。
長々と常識的なこと書いたのは理由がある。
土地とかエネルギーとか食料が本物だとするなら、
要するに、お金は全て偽札=偽薬だということだ。
お金があれば、明らかに脳内麻薬が分泌される。偽薬としてお金は、モノと同じかそれ以上の麻薬性を有している。
もちろん拝金主義となるともはや中毒でしかない。
もし偽薬の科学的有効性というか実効性を疑う人がいるなら、「原価22.2円の「紙」が壱万円として人は信じている」という厳然たる事実を思い出すべきだろう。
それなりの「信用構造」があれば、人は信じるし本当に騙されるのだ。
騙されるのだが、本当に「効いて」しまうのだから騙されるのではないとも言える。
やはり、信じるものは想像以上に救われると考えざるを得ないし、人は信じる以上に信じているようにも見えるし、信じなさ過ぎて損をしているともいえる。だって、どんなものでも信じればある程度は効くのだから、信じた方が得だよな!