続アメリカと銃

 偽薬=プラセボは、信じれば効く。
信じない人には、効かない。
例えば、子供は割りと簡単に信じる。
 ところが、年を取り経験を積むと人はあまり信じなくなる。確かに効果ありと経験したものだけを信じるようになるのだ。
経験したことの無いことには、「不信」の目を向けるだろう。
経験することにより、より慎重になり、「確実」なものを求めるようになり冒険しなくなる。分別がつくようになる。
確実なものだけをするようになると、実は「依存」とか「中毒」の危険が増大する。
 確実に効く薬は、確実に中毒を引き起こすとまでは言わないが。
 さて、いかに懐疑的な人でも、結局は何かを信じていると言える。
 デカルトを持ち出すまでもなく、不信な自分をいくばくかは、信じないのでなければ、懐疑すら不可能だからだ。
 以上のようであるとするなら、どういう結論が導きだせるのか?
 
 信じない人は、いないのだから、全ての人が信じているものは、根拠なく外見だけで効くということが言える。
 例え偽者でも本物になる。その本物がやがて中毒の原因になるとしても、とりあえず、比例関係が成立する範囲では、真実であり本当であり得る。