続アメリカと銃
この文章は、コネティカットで起きたクリスマスを楽しみにしていた小学生達が銃撃され、殺されたことに端を発している。
これがアメリカでは、学校の武装化を招来することになる。
アメリカは、学校を武装化することによって、小学生達を守ろうとしているとは私には思えない。むしろ、逆に「必要悪」としてさらなる犠牲者たちの死体の山を築こうとしている。
アメリカは何か別のものを守ろうとしているに違いない。
それは何か!
噛み付けるものには全て噛み付くことにした。言いがかりであることは承知している。
しかし、いかに理念が立派で成果を挙げ多くの人に支持されているからといって、それを守るため、「必要悪」という名の元に、小学生が撃ち殺されていいとは思えない。
平等という立派な理念が胡散臭い。
それに付随する自由が胡散臭い。
そう思わざるを得ない。
科学的な思考が胡散臭い。
これらを中毒とみなせば、この中毒からいかに抜け出すかを実践することが重要だ。
最近「バグる脳」という本を読んでいる。
人間の脳が、自分の作り出した環境に適応できなくなっていることを「バグ」として扱っている。
中毒も大事だが、「虫毒」もありかなと思う。