バドミントン

ユングによれば、我々の「自己」は、いくつかの「元型」によって成り立っている。自我とかシャドウとかいう。男ならアニマ、女ならアニムス。オールドワイズマンとかグレートマザーなど。
例えば、夫婦喧嘩が現象する。ここで普通は夫と妻という二人の人格間での対立と見るのが普通だ。バドミントンで言うとシングルスである。
ところが、夫の自我とそのシャドウ、妻の自我とそのシャドウとの組み合わせで喧嘩が起こる場合がある。この場合、元型はそれぞれが別人格なので、合計4人の人格がこの夫婦喧嘩に参戦していることになる。バドミントンで言えば、ダブルスである。
さらに、夫のアニマと妻のアニムスがこれに参加するとトリプルという事になり、合計六人での夫婦喧嘩になる。
分析心理学を体感しようとしたら、トリプルでのバドミントンをお勧めする。
自分を前衛に割付け、後のシャドウとアニマあるいはアニムスを後衛に貼り付けるのだ。もしこのトリプルの連携がうまく行っているなら、バドミントンは愉しく気持いい。しかも勝てる。無敵あるいは少なくとも負けるのは難しいと感じるだろう。ある種の全能性を実感できる。
ところが、この連携がうまく行かないと、自陣の内部で衝突が起こり隙が出来る。当然相手はその隙を狙ってくるので、自滅することになる。理想的な連携で重要なのは、守備範囲をケースバイケースで柔軟に変更できるかどうかである。それぞれの得意な技を最高に発揮できるようにお互いの守備範囲を調整できるかどうかが肝心なのだ。
相手の連携を見定めてその隙を突く必要もある。
このように、夫婦喧嘩は二人の個人の対立ではないので、お互い納得すればとか説得すればということは、自我同士の間で可能であるにすぎない。後の四人は、納得も説得も全くしていないのだから。
バドミントンとユングと夫婦喧嘩の組み合わせは、私には自然に見える。
ちなみにバドミントンには競技としてのトリプルは無い。ダブルスまでである。その理由は、トリプルでのバドミントンをやると永遠にラリーが続くからだと思う。
仲のよい夫婦の喧嘩が永遠に蒸し返されることからも納得がいく!