バドミントン

石破自民党幹事長は、「運動は選挙運動以外はやらない。」と確かいったそうだ。言い得て妙なので引用する。そうなのだ!スポーツ=運動=選挙。
つまり、スポーツ=選挙である。
これが、政治からみたスポーツの定義である。スポーツの側もある意味、この定義を受け入れることになる。
スポーツこそが最高の「政治」であると確信しているものにとって、石破の定義の私による拡張バージョンは、最低、最悪である。
さらに、芸術的シュートなどという「褒め言葉」も実に不愉快な言い回しである。そんな「かったるいもの」では断じてナイ!
むしろ、最高の芸術は、スポーツ的なのだし、最高の政治はスポーツ的なのだし、最高の宗教はスポーツ的だといい直すべきなのだ。最高の経済はスポーツ的だし、最高の詩はスポーツ的だし、最高の建築はスポーツ的だし、最高の絵画はスポーツ的だし、最高の小説はスポーツ的だし、最高の映画はスポーツ的であるというべきだ。ついでに最高の科学はスポーツ的といってもいい。
ところが、スポーツ的という最高の賛辞が、なぜか常に「曲解」されるそれどころか、常に蔑み軽んじるように「理解」される。
あり得ない展開に「悶絶」しそうだ。
結論を急ぎすぎたが、私のスタンスはこのようなものだ。
何でこれほどの冷遇に甘んじなければならないのか?
これほどの屈辱は晴らさねばならないし、出来るなら「復讐」したいものだと思う。アニマの復讐である。