バドミントン

グレートマザーには、二面性があると言われている。はぐくむ母とのみこむ母だ。良い母と悪い母と言ったりする。
バドミントンのコートで、自分のコートは悪い母で、相手のコートは良い母だといえる。自分の渾身のシャトルが相手のコートに受け止められるか相手のシャトルをレシーブできず自分のコートに飲み込まれるかの違いだ。悪い母を背中に良い母を相手に自我が奮闘するといってもいい。この場合、悪い母は自我からは見えない。ただ、間接的にその存在を想像するしかない。あるいは、よい母の鏡映とみる訓練が必要だ。シェークスピアではないが、よいは悪い悪いはよいなのだ。
先日、バドミントンの初心者が、シャトルを「つい」相手に打ち返してしまうといった。バドミントンをキャッチボールと勘違いしてしまうのだ。バドミントンは、キャッチボールではない。むしろ、反キャッチボール。
これを理解することが「初心者」を卒業するためのバロメーターといえる。彼女は、そのことに気が付き始めたのだからそろそろ「初心者」の思い込みを実践的に脱しつつあるようだ。実にバトミントンは分析心理学的でありえる。むしろ、分析心理学がバドミントン的であるというべきではある。