バドミントン

バドミントンをやってみて、例えばスマッシュで決める場合、いまだチャンスだ決めてやるという感じだ。「今しかない」「これを逃すと二度と勝てない」など、流行言葉でいえば「いまでしょ!」と言う感じだ。実にマッチョで、攻撃的ではある。男の自我といえばいいだろう。
一方、ヘアピンのようにネットぎりぎりに落とす場合がある。柳に風の対応である。当然、女の自我だ。
では、強いバドミントンとはなんだろうか?
これが必ずしもバシと決めるのではないところが面白い。つまり、バシとはなかなか決まらないのだ。ラリーの中で相手の体勢を徐々に崩し最期はある意味あっけなく決まるものなのだ。
これは、スポーツ全般に言えることでもある。最期はほとんど何もしなくても勝てるところまで、相手が解体されているというか崩されているのだ。
相手コートには、もはや敵はいなくて慈愛深い我らの良きグレートマザーが微笑んでいるといえる。
自分のコートは悪しきグレートマザーであり、敵のコートは良きグレートマザーと考えると、我々は悪しきグレートマザーの飲み込まれる力に対抗しつつ、相手コートである良きグレートマザーにシャトルを届けようとしていると言える。我々は悪しきグレートマザーの上で、彼女のコート全面を守備範囲として被覆することを目標にしている。数学のコンプリート性こそ我らがバドミントンの目標なのだ。