バドミントン

昨日バドミントンをやった。
ダブルスで、初めて組む相手だった。
こういう場合、相手の守備範囲とこちらの守備範囲とがはっきりしないので、最初はちぐはぐな感じだったが徐々に勝ちパターンや負けパターンを繰り返すうちにこなれてきて、愉しくなってきた。相手はかなり出来上がっていたので、我々は出遅れたが途中で盛り返した格好だ。
なかなか刺激的な体験だった。
私のパートナーは、背の高い妙齢の美人であったのだが、ネット際に落とすドロップショットが何度か決まり、タダの美人ではないなと感心させられた。あの奥に打ち込まれたシャトルを、ネット際に柔らかく返せるのは「並」ではない。しかも、非常に落ち着いていて冷静なのも「スゴイ」と感心してしまった。
ただ、何度か失敗もあったので、まだまだなのではあるがたいしたもんだと感心した。
一つ感じたのは、彼女は冷静と言ったがそれより「勝負」に対する無関心とでもいった方が適切なようだ。勝っても負けてもたかがバドミントンという感じだ。それよりも、一つ一つの問題を彼女なりの解決に導ければいいという感じに思える。この「勝負」に対する無関心というのは、変な話勝負に非常に影響する要因でもある。つまり「勝負」に関心をもつと、ロクなことがないのだ。
私は負けず嫌いなので、非情に勝負にこだわるのでこの女性の態度は非常に刺激的だった。
つまり、彼女は完全に正しいと思わざるを得ないのだ。
バドミントンでの問題とは、自分のコートに来たシャトルと自分のポジショニングによって構成されている。この問題構成に対して、どこにどういう風にシャトルを打ち返すかが解決である。ラリーの繰り返しの中で次々と問題とその解決が繰り返され、最終的に勝負が決まることになる。よりよいプログラミングが出来た方が、一応勝ちになるという知的なゲームでもある。