バドミントン

昨日バドミントンをした。
相手が強くて負けてしまったが、ラリーの続く面白い試合になった。
一つ非常に興味深いことに気が付いた。
よくスポーツで、弱い奴に人気が出る場合がある。
判官びいきという奴だ。
強いヤツは、憎まれ役で「声援」は不思議なもので弱い方に集まる傾向がある。
昨日の試合もそうで、私が負けた方で声援が集まったのも私の方だった。
実力的には実は五分五分でどっちが勝ってもおかしくないのだが、声援はこちらに集まる。
良くプロレスで最初負けたり、悪役が反則技をしかけて、最後に逆転勝利というのが『受ける』パターンだが、それと似ていなくもない。
相対的に弱い方が、関係のない観客を味方につけれるというのは、面白い現象だと思う。
相対的に弱い方を応援しているとこの逆転の瞬間の快感を味わえる可能性やその予感を味わえるので、観客の快感を最大化できるのだろう。
強いやつを応援していると逃げ切った快感しか味わえないので、不全感があるような気がする。
私は、プレイに安定感がなく強い時は強いのだが、ポカも多いので割と応援してもらえることが多い気がする。
つまり、勝負には買ったり負けたりだが、観客には常に「勝っている」のだ。
そう言えば、演説で自分の失敗を織り込んで味方につけるというのも同じ手かもしれない。
弱さが、観客に対する勝利の決めてなのだ。
分析心理学的にはどういう意味に解釈可能なのだろうか?