バドミントン

スポーツ評論という分野が他の評論のなかで明らかに見劣りする。
政治評論、経済評論、医学評論、文学評論、美術評論、映画評論一応プロが存在しているように思う。漫画評論も可能だろう。ところが、スポーツとなると相撲解説とか野球解説とかサッカー解説レベルになる。
ましてバドミントンなど解説さえおぼつかない。
成功した選手や監督もそのリーダーシップがせいぜい週刊誌ネタになるぐらいでそれ以上でもそれ以下でもない。
評論を可能にする資料の集積もシステムもないように思う。
最初は文学評論だって、印象批評とかゴッシプだったのだから別にそれはそれでいいのだ。
スポーツを実践している人たちが、その経験や見聞の集積のなかからある「普遍性」なり「一般性」なり「他分野への適応とか応用」を抽出できればいいだけなのだ。
スポーツは子供達に圧倒的に支持されている。
やはり、未来の世界は子供達にものなのだから、未来はスポーツ的でありえるとごく楽観的な見通しをもって進もうと思う。

それにしても、スポーツの指導者の質がなんとかならないかとつい思ってしまうね。
指導法がね、「ない」よな。