バドミントン

バドミントンのラリーのパターンにはいろいろある。
例えば、右のフォア側の後ろに弱く打ちかえされた場合に同じように右側後ろに弱く打ち返している限りクリア合戦なのでまず「永遠に」勝負はつかないと思った方がいい。この状態はすでにラリーの公理でカバーしている事態なので制限する公理を作る参考にならない。
しかし、例えば、右に強く遠く来たシャトルを二回レシーブして右に強く二回返し、三度目のスマッシュを前に弱く左に打てば、勝てる場合がある。こういう場合を含みうるように、公理の使用を制限することにする。例えば、
上記ラリーの公理は、次の公理の制限を受ける
制限公理13
ラリーの公理は連続して二回まで適用できる。
制限公理14
制限公理13を適用した後に異なるラリーの公理を適用しなくてはならない。
この制限公理により、二回連続して同じパターンで打ち返した場合、次の打ち返すパターンを異なるラリーの公理に変更しなくてはならなくなる。
これで、一応上の様な「右に強く遠く来たシャトルを二回レシーブして右に強く二回返し、三度目を前に弱く左に打てば、勝てる場合」勝ちパターンの実例を可能性として含むラリー公理系になっている。
しかも、この勝ちパターン以外の膨大な勝ちパターンの存在も示唆している。
この公理は勝ちパターンの全てを含んでいるわけではない。またこれ以外の勝ち方もあるし、これで負ける場合も当然ある。
しかし、我々レベルの競技者では「真実」の体系になっている可能性は十分にある。バドミントンを公理化するといいのは、具体的なケーススタディーのもつ説得力に、公理系のもつ体系性とか網羅性とか一般性を持たせることにより、経験的狭隘さの弊害を少なく出来る点だろう。
要するに、具体的負けパターンとか勝ちパターンを公理レベルでの削除とか追加とか制限によりフィードバックして、スポーツのもつ属人的要因を最小にする試みである。
さて、この公理系果たして現実に働きかけれるほど「強力」だろうか?
バドミントンの公理系のもつ潜在的な力を私のバドミントンの経験が理論化できるかということになる。
さて、上記制限公理を今度はちゃんとラリーの公理群に適用して、その定理を私のバドミントンの経験と照合してみることだ。
割と面白いことになりそうな気がしている。