バドミントン

いずれにしろ、単に打ち返すだけで三つの公理を満たす。そして、ひとつでも同じ公理を反復しているなら、同じことを反復しているとする。つまりどこかで単調になっているといえる。速さとか方向とか距離が同じだからだ。この同じものを3回以上繰り返すと「本当に同じ」とみなすことができることにした。
自分で公理を決めてはいるのだが、このように具体的に公理の適用を考えているわけではないので、実際に考えると「意外」な気持ちが湧き上がる。
努力しているつもりだが、どうも私のプレイは「単調」に陥っていることが明らかだ。
勝つためには、相手がこちらの戦略を予測してもらっても困るという側面もあるが、自分の方が夢中になっていて、自分の「単調さ」に気がつかないという側面もある。
例えば、相手の左側バックに二度長く弱くクリアすることを二回繰り返すそして、右に短くすばやい打ててはいない。これは、まず、そのとき思いつかないということもある。夢中になって「相手」に打ち返し気味になるのだ。特にすばやく打ててはいないので「決まらない」。つまり3回同じことをするのでしなかったに等しい結果になるということだ。
よく力のあるプレイヤーが滅多やたらと打ち込むのだが、そう強くもないということがよくある。体力と集中力を消耗して隙ができやすくなるからだ。これは、強さという単調さに陥っていることに気がついていないということではある。しかし、それより、そういう情報をファイルするファイルが存在していないという方が正しいだろう。
公理化するメリットは、この情報の収納ファイルをフレッキシブルに増築できるということにあるような気もする。
具体的なケースをさっとファイルし、必要な時にさっと取り出せるという能力が必要なのだ。
想像力というか創造力というかそういったものと関係している。
私がバドミントンで主張したがっているインスピレーションも公理的に考えると理解しやすい感じがする。
経験をファイルするための棚がないことには、経験は逆効果にしかならない気がする。経験すればするほど「余裕」がなくなり「自滅」するのだ。あるいは小さな勝ちパターンに執着して成長が止まる場合もあるように思う。
こうした問題を公理的なフィードバックで解消できれば面白い。
とにかく、バドミントンをもっと強くなりたいものだ。