最初の救出エクササイズ

準備のプロセスを二回繰り返す。
リラックス深呼吸3回
今日起きた時の回想、さらにこのエクササイズを始める準備をしたときの回想。
さらに三回のリラックス呼吸。
指曲げ。
「私は、心から願います、存在の裏づけが取れる人で、救出を必要としている人とコンタクトし、コミュニケートして。その人から情報を得て、その人のお役にたつことを」と意図を定める。
ヘルパーとの接触
ヘルパーの情報収集。
二回のリラックス呼吸
二回の下からのエネルギー収集呼吸
ヘルパーに頼み、救出が必要な人のところへ導いてくれるように頼む。
この救出が必要な人に会う。
この人の情報を集める。
この人と話をする。
適切なやり方で、ヘルパーにこの人を紹介する。
一緒に、移動する。
引き渡す。
ヘルパーと二人になる。
ヘルパーにいろいろ質問をする。
ヘルパーに感謝して、分かれる。
こんな具合のことをやる。
長い。

今回は、気合を入れて望んだ。
いつもはイスに座ってやるのだが、横になって寝ながらやった。
眠ってもいいやという気持ちでやった。
どうなるのかという不安の方が大きい。
とにかく、「つもり」になるだけで、いいのだ。
気楽にはじめるに限ると納得した。

さて、結果報告だ。

たいしたことは何も起きなかったといいたい気持ちが一方にあるが、それでは少し公平性に問題があるともいえる。
何もなかったわけではない。
意外な展開といってもいいことが起きたことは起きた。
それをあまり過小評価にするのも過大評価するのも問題だろう。
最初から順番に書き留めておこう。
まず、ヘルパーだが、イメージとしては、黒頭巾の修道士風で右側前方にいた。少し解釈が入って、若い女のような気もした。
それ以上の情報は、得られない。
会話も成立しない。とにかく、救出に行くようお願いする。
ここで、私としては別に予定していたわけではないが、川原にずぶぬれで立っている若い男の後ろ姿が私の前方に浮かぶ。
大きな川で、流れは強い。
その流れの先を見ている。
私は、溺れた息子を助けようとして、自分が溺れてしまった男親だと思った。
彼は死んでいるのだが、まだ子供がどうなったか心配している。この男親の溺れた息子は、別な人に既に助けられている。私は、そういう「つもり」になってきた。
そこで、この男親と会話をする「つもり」になった。
「どうしたんですか?」
「子供が流されて」
「その子は、助けられましたよ。」
それをいうと安堵した様子になる。私は、何か出来すぎのような気になる。
この人ともうしばらく話しをした。
アウトドアが好きなようで、釣りも好きなようだ。
これは使えると思い、釣り場のいいところがあるので、行きましょう。そこには、私の友人がいるはずです。といった。
こうして、この人をヘルパーに引き合わせる。
ヘルパーは、釣りをする格好で、ポケットの多い、黄色ぽいベストを着ていて、話をあわせてくれる。このあたり実に都合がいい。
で、出かけようという感じで、空を飛ぶ。
私は後から付いていく「つもり」。
で到着。
そこは、透明なガラスのようなものでできた回廊があるところだった。
そこで、この人を誰かに引き合わせ、私は帰ることにした。
ま、おおむねこんなようなことをしたつもりになった。
 今こうして思い出しながら書いていると、なんだか妙な気分になる。
 自分の息子を助けようとして死んだ親父の話というのは、確か新聞に書いてあった気がする。テレビでも報道されたと思う。そのあたりを思い出したのだとは思う。息子は他の人によって救われた。犬死だなという気持ちがその時はしただけだった。それ以上考えなかったという方が正しい。
 しかし、今回この親父のことを思い出し、この親父は、死んでからも息子が大丈夫か心配していると思いがけず、思いついた。
 自分の手で助けることが出来ないまま、この人は死んだのだからそう思うのが当然ではある。
 ただ、この当然な親父の「無念」が、私が今回このエクササイズをするまで、思いもしなかった新情報という気もする。
 残念ながら、彼の名前や年などの情報は得られなかった。
 現実にあった事故とどう関係するのかわからないが、とにかくこれが私の最初の救出エクササイズの顛末である。
 あくまでも「つもり」ではある。