畏れ

近代が失ない続けているいるものは、何か?
それは「畏れ」だ。
全体への畏れだ。
「神」といってもいいのだが、ワケが分からないだろうから、「全体」ということにしておく。
人間なんか、部分なんだ!
部品なんだ。
それは少しも情けない状態、惨めな状態、無力な状態、貧しい状態、奴隷状態というわけではない。
しかし、人類はそれを認めようとはしない。
むしろ逆。
自分を部品と認める代わりに、世界を、全体を、部品に、部分に、分解する。
それしか能が無いのだ。
これを「科学的」と称する。
自分の限界を、無限の進歩の可能性にすり返る。
欺瞞だぜ!
「畏れ」は、臆病さとも、無力さとも、宗教とも関係ない。
「畏れ」は才能であり、能力だ。
もはや、明白だろう。