何でも鑑定団と裁判員制度

不謹慎だとは思う。
しかし、骨董の値段の鑑定と値付けの問題と、殺人の事実認定とその量刑の問題は、非常に似通った困難に出くわす。
今回の裁判では、事実認定については、争いが無かったから良かったものの、「冤罪」の危険は常に付きまとう。
骨董品でいうと「偽物」か「本物」かの違いが、事実認定に対応する。
また、「本物」と決まってもその「相場」は、プロでも難しい。
今回の裁判員制度で、「改良」が期待されているのは、この「相場」観をより「市場」の実態に合わせることが可能になったという点だろう。

骨董鑑定との比較で言えば、裁判員制度の問題点は、専門家がすべき「事実認定」をもアマチュアの判断に任せている点ではなかろうか?

巧妙な「偽物」は、プロでも鑑定は難しい。

もし、犯罪者が「いい仕事」をしたら、アマチュアには見破るのは無理だろうと思う。

裁判員制度は、今回のように事実認定で争いがないものに限った方がうまくいくと思う。

「偽物」をつかまされて、さて「値段」をつけましょうといわれても、正直、困る。

司法の丸投げといわれてもしょうがない制度だ。