介護について2

介護保険導入以前では、長男の「嫁」に集中して介護の重圧がかかった。責任を一身に受け、しかも報われなかった。
しかし、長い間それは「当然」のこととされた。
長男への自宅の相続、家業の相続、あるいは優先的就職の斡旋(地方公務員、議員への就職とか)などの安定した生活により埋め合わせをしていた。
この長男の「嫁」の安定がぐらつく。
まず、民法での兄弟間での財産の均分相続。
都市化による次男等の経済的成功。
見合いから恋愛への結婚形態の変化。
少子化による長男長女の結婚の増加。
もはや長男の嫁は、「安定」ではなく「貧乏くじ」を意味する。
結婚する女としては、介護しなくていいということが前提となる状況が出現する。
面白いもので、法律的、経済的、文化的環境が激変したにもかかわらず、意識レベルでは、相変わらず本来は「長男の嫁」が旦那の両親の面倒を看るべきであるという社会的圧力が残存し続けるのだ。
「出来る」女たちが、「かわいい」男を捜せばよさそうなものを、相変わらず「かわいい」女でいようとするという意識の「ズレ」と似ている。
長い間に定着した慣習は、そう簡単には「チェンジ」しないようだ。
今、団塊世代が介護を必要とされる状況が出現する。
もはや、介護は専門機関にお任せするしかないということになるのだろうか?