小沢院政

小沢は西松問題が致命傷になる前に、鳩山に党首の座を明け渡し、政権奪取後は、「小沢院政」を敷いている。
この「院政」という言葉の由来は、白河上皇から始まる。
当時の政治体制である「摂関政治」から「院政」への転換は、画期的でこれにより「武士」の台頭が決定的になる。
保元、平冶の乱ではっきりするのだが、最終的に勝負を決めるのは、「武力」になる。
院政では、実質的決定権は自分に残す一方、形式的な組織の長は、子どもに引き継ぐのだ。
まだ自分に力があるうちに、後継を指名し、自分の権力の引継ぎを確実なものできるというメリットもある。
徳川家康も早々に家忠に将軍職を譲り、「院政」を引いているのだから、別に「小沢」だけが「院政」をひいているわけではない。
白河は、摂関政治を終わらせるため、家康は「戦国時代」を終わらせるために、「院政」を採用したのだ。
そこで、気になるのは「小沢」亡き後の後継者は誰になるのか?ということだ。
後継指名のルールを「小沢上皇」ご存命の時に「確立」しておいた方がよかろうと、老婆心ながら思う。
この後継争いを未然に防がないと、おそらく「戦国乱世」は続くのだろうと危惧している。
権力の継承というのは、難しいよな。