続アメリカと銃

アメリカと日本は、民主的な選挙、議会、三権の分立といった制度や自由や平等という共通の価値観を共有しているそうだ。
それに比べて、アジアとりわけ中国や中東は「遅れてるよね」まだ、王政や独裁どまりだし、選挙をやってもかなり怪しい選挙しかできない。
また、日本はアメリカに比べて個人主義の点でも「遅れてる」という事になっている。日本の集団主義は、評判が悪い。個性が育たず、逆に殺す。これでは、世界に通用する人材が育たず、三流国家になるという悲観的な予想さえある。
日本でさえこの程度なのだから、アメリカは世界をより平等で自由なものに変えるという普遍的理念を掲げ、世界をリードする歴史的責務があると言うことになる。
ナポレオンの後継としてのアメリカという位置づけだ。
「秩序と安定」のあるところに、「平等」という爆弾を仕掛けるともいえる。
「平等」は、秩序と安定が必然的に内部に溜め込む不満がある閾値を越えるタイミングでは、おそらくよく効く「下剤」になり得る。
滅多やたらと処方すると、「おおかみ少年」のようになる。
アメリカが「おおかみがくるぞー」と言うたびに、「またかー」と思う。
「銃=平等=自由」なのだ。
実に暴力革命的である。