バドミントン

ラリーの公理と制限公理から、強く二回打ち、次に弱く打ち返すのは定理になる。
同様に右に二回打ち、左に返すのも定理になる。
同様に遠くに二回打ち、近くに打つのも定理になる。
これは、結構当たっている。確かに、決まるかもしれない。二度あることは三度あると「体」つまり「脳」が信じてしまうと三度目のトリックに引っかかる。
よく知られた例だが、どの星が好きと聞かれて一人目はカシオペア、二人目はサザンクロス、三人目はもちろんウメボシみたいに三番目でオチをつけるということだ。予感していても引っかかるものだ。
さらに、強く右に二回打ち、弱く左に打ち返すのも有効だろう。強弱と左右を打ち分けるのはかなり難しいからだ。さらに、遠くに強く右に二回打ち、近く弱く左に打ち返すのもさらに有効だろう。

こう考えると、このバドミントン神学におけるラリーの公理は、バドミントンに勝つために必要な基本技術に対応しているし、制限公理はバドミントンに勝つための「戦略」を規定していることになるようだ。

確か、トップにバドミントン選手が20いくつかの基本パターンの組み合わせで戦っているといっていたから、おそらく上記ラリーの公理にもう一つぐらいの公理を追加し、制限公理として何かを追加か新規に作れば、トップの従っている基本技術と戦略がいかなるものかを特徴付けられると想定できる。さらに、それに対していかなる練習を組み立てるべきかもわかるだろう。
トップ選手のプレイを「実況」するだけではなく、ラリーを描写あるいは記述できる「言語」を作り、戦略分析や技術分析に利用すべきだと思う。どうもこの辺が「勘」に頼ったり、属人的になっているから、自称「神」という勘違い野郎がのさばることになる。
バドミントンの公理化を利用して、私ももっとバドミントンを強くなりたいものだと思う。

バドミントン

バドミントンのラリーのパターンにはいろいろある。
例えば、右のフォア側の後ろに弱く打ちかえされた場合に同じように右側後ろに弱く打ち返している限りクリア合戦なのでまず「永遠に」勝負はつかないと思った方がいい。この状態はすでにラリーの公理でカバーしている事態なので制限する公理を作る参考にならない。
しかし、例えば、右に強く遠く来たシャトルを二回レシーブして右に強く二回返し、三度目のスマッシュを前に弱く左に打てば、勝てる場合がある。こういう場合を含みうるように、公理の使用を制限することにする。例えば、
上記ラリーの公理は、次の公理の制限を受ける
制限公理13
ラリーの公理は連続して二回まで適用できる。
制限公理14
制限公理13を適用した後に異なるラリーの公理を適用しなくてはならない。
この制限公理により、二回連続して同じパターンで打ち返した場合、次の打ち返すパターンを異なるラリーの公理に変更しなくてはならなくなる。
これで、一応上の様な「右に強く遠く来たシャトルを二回レシーブして右に強く二回返し、三度目を前に弱く左に打てば、勝てる場合」勝ちパターンの実例を可能性として含むラリー公理系になっている。
しかも、この勝ちパターン以外の膨大な勝ちパターンの存在も示唆している。
この公理は勝ちパターンの全てを含んでいるわけではない。またこれ以外の勝ち方もあるし、これで負ける場合も当然ある。
しかし、我々レベルの競技者では「真実」の体系になっている可能性は十分にある。バドミントンを公理化するといいのは、具体的なケーススタディーのもつ説得力に、公理系のもつ体系性とか網羅性とか一般性を持たせることにより、経験的狭隘さの弊害を少なく出来る点だろう。
要するに、具体的負けパターンとか勝ちパターンを公理レベルでの削除とか追加とか制限によりフィードバックして、スポーツのもつ属人的要因を最小にする試みである。
さて、この公理系果たして現実に働きかけれるほど「強力」だろうか?
バドミントンの公理系のもつ潜在的な力を私のバドミントンの経験が理論化できるかということになる。
さて、上記制限公理を今度はちゃんとラリーの公理群に適用して、その定理を私のバドミントンの経験と照合してみることだ。
割と面白いことになりそうな気がしている。

バドミントン

さらに細かいプレイパターンのことも議論したいので公理を追加する。
ラリーの公理は別に立てる。
ラリーの公理1
神が強く打ち返した場合、強く打ち返す事ができる。
ラリーの公理2
神が強く打ち返した時、弱く打ち返す事が出来る。
ラリ―の公理3
神は弱く打ち返した時、弱く打ち返す事が出来る。
ラリーの公理4
神が弱く打ち返した時、強く打ち返す事が出来る。

ラリーの公理5
神が遠くへ打ち返した場合、遠くに打ち返す事ができる。
ラリーの公理6
神が遠く打ち返した時、近くに打ち返す事が出来る。
ラリ―の公理7
神は近く打ち返した時、近くに打ち返す事が出来る。
ラリーの公理8
神が近く打ち返した時、近くに打ち返す事が出来る。
ラリーの公理9
神が右に打ち返した場合、右に打ち返す事ができる。
ラリーの公理10
神が右に打ち返した時、左に打ち返す事が出来る。
ラリ―の公理11
神は左に打ち返した時、左に打ち返す事が出来る。
ラリーの公理12
神が左に打ち返した時、右に打ち返す事が出来る。


ラリーの定理1
打ち返す場合に8通りの選択肢がある。強く遠く左右に打つ場合と強く近くの左右に打つ場合と弱く遠く左右に打つ場合と弱く近く左右に打つ場合である。
これは、公理1から8までををまとめるとこの定理になるのは明白。
ラリーの定理1の実例。
神が左の遠くに強く打った場合に、弱く左に遠く打ち返せる。
ラリーの公理1、5、9より明らか。

何となくラリーを「記述」するのにこれぐらいの「公理」があるといい気がする。
しかし、このままではラリーは永遠に続いてしまうので、どこかで終わりにしないといけない。
次なる問題は、このラリーの公理を適切に「制限」して、ラリーが終わる条件を公理化すればいいことになる。
クリアー合戦をしている限り、バドミントンは勝負は決まらないので、上記公理を制限して勝負が決まるように調整したいと思う。
要するに、決まり手のパターン化と言う事になる。

バドミントン

公理0

バドミントンの神は存在する。

公理1

0が存在する。

公理2

神は0を21まで増やすことが出来る。

公理3

神は、0から一つずつしか増やせない。

公理4

神はー20まで減らすことが出来る。

公理5

神は0から一つずつしか減らせない。

これだけだとバドミントンのラリーの話に出てこないので、ラリーの公理をさらに追加する。
 
公理6
神はサービスを打つか、敵にサービスを打たせる。
公理7
神がサービスの場合、敵はこのサービスを打ち返すか打ち損ねる。
うち損ねた場合、神は一点を増やす。
公理8
敵がサービスした場合、神はこのサービスを打ち返すかうち損ねる。
打ち損ねた場合、神は一点を減らす。
公理9
撃ち返されたサービスは神は打ち返すかうち損ねる。うち損ねた場合
神は一点を減らす。
公理10
神が打ち返し敵が打ち返すか打ち損なう。打ち損なった場合、神は一点を増やす。

定理11
公理6から公理10は、神が−20まで減じるところまでしか適用されない。
公理6、7、8、9により
神と敵はサービスを打ち返した後、打ち返しどちらかが打ち損なうまで、続く。
このように勝負がつかないで継続する状態をラリーと呼ぶ。
定理12
神はラリーに20回負ける場合がある。
定理13
定理10より20回負けるとラリーで負けることはなくなり不死身になる。
要するに、追い込められて本気になるとものすごく強くなって勝てないよねと言う話です。
粘るというか、地力があるというか強いということ。

定理14
神に対して最大−20まで勝つことができる。
これは公理4の言い換え。

バドミントン

公理0

バドミントンの神は存在する。

公理1

0が存在する。

公理2

神は0を21まで増やすことが出来る。

公理3

神は、0から一つずつしか増やせない。

公理4

神はー20まで減らすことが出来る。

公理5

神は0から一つずつしか減らせない。

定理6
神は一つであるか、神同士は対戦しない。
もし神同士が複数いて対戦し、勝敗が決まったとする。すると負けた一人の神は−21点にならなければならない。ところが、公理4により、神はー20点までしか減らせない。よって、これは公理4に矛盾する。つまり、神は神ではないことになる。つまり偽神。神は唯一であるか、神同士は対戦しない。
定理7
神は、−20点になると負けなくなる。もし、−20点で負けると−21点になり公理4に矛盾する。したがって、神は−20点になるとそれ以後の勝負に全て勝つ。
定義:負けないで連続して勝つことを「不死身」と定義する。
定理7の系
神は、−20点になるまでは、勝負に勝つ場合もあるし,負ける場合もある。
定理8
神はー20になると不死身になり、それ以後に勝負に全て勝つ。もしこうでないと公理4に矛盾する。
定理9
神は21まで勝ち相手は0から20までの範囲で勝つ。
これは、公理1から5より明白。
定理10
神はいつも勝負に勝つわけではない。しかし、もし負けていても、最後には必ず逆転できるということになる。定理7の系と定理9より明白。

いちいち突っ込みをいれたくなるような「ボケ」でなかなか面白い。
ハリウッドのヒーロの定義みたいなもんだね!

バドミントン

スポーツには「神様」が多い。
そこで少しくだらないことを思いついたので少しメモ代わりに書いておく。
バドミントンの神を公理的に定義する。
公理0
バドミントンの神は存在する。
公理1
0が存在する。
公理2
神は0を21まで増やすことが出来る。
公理3
神は、0から一つずつしか増やせない。
公理4
神はー20まで減らすことが出来る。
公理5
神は0から一つずつしか減らせない。
定理1
神は、0を1に増やせる。
なぜなら、公理2により0から21まで増やせ、公理3より増やす場合1しか増えないので、神は0を1に増やせる。
定理2
神は、0を2に増やせる。公理3より明白だろう。
定理3
神は、0を21に増やせる。これも、公理3を繰り返し適用すれば明白。
定理4
神は、0をー20に減らせる。
ここで、バドミントンの勝ちと負けを定義する。
勝ちとは21まで増やすことである。
負けとは−21まで減らすことである。
定理5
神は、負けない。
仮に負けるとすると、−21になる必要があるが公理4と矛盾する。よって、神は負けない。
こうやって、適当に公理とか定理とか定義をでっち上げてみようかと思いついた。
こうして、バドミントンの「神学」を作ろうかなというアイデアです。
どうなることやら!?
どうにもならなそうではある!
心のそこから「くだらない」と思える試みではある。

バドミントン

バドミントンで相手コートにシャトルを打ち込む。
これが「贈与の一撃」である。
バドミントンのシャトルはババ抜きのジョーカーなのだ。
それは、所持するのではなくなるべく早く相手に返却すべきものなのだ。
ジョーカーの保持は、「死」を意味する。
生きていたいなら、速やかに打ち返すべきだろう。
出来れば「倍返し」かな。